手を出す

私はSMAPが好きだ。何かと言えばSMAPと叫んでいる。しかし、なんだか最近、V6兄さんにも興味が出てきた。興味が無いとどんなグループかを気にしないし、どういう色の人達がどんな物語を繋いで来ているのかを見ない。

フォロワさんで好きな人がいてその人の呟きを見てへーくらいだったのに、偶然に見た動画サイトに私の心は止めることができなかった。あれ?この人達面白い?そう思うと今買うことの出来る初回盤を買い漁る自分がいた。

V6さんの世界を見れば見るほどいいエピソードが沢山で応援したい気持ちになる。

SMAPの事ももちろん大好きだし、収集癖が出るのだけれど…

新しく興味を持った彼らの未来が見てみたいと思った。

金銭面的に厳しい状況だが、そこは色々我慢で両立しようと思う。

何が言いたいかって言うとよろしくお願いしますと言うことです。

関係性

自分にはわからない所で、誰かが仲良くしていたり逆のパターンもある。いつの間にか小さな人間関係はとても大きな輪になって、嬉しいんだが居心地が悪くなって息苦しくなってしまう。

いつだって誰かと深く繋がりたいわかり合いたいと思うが結局はそれは、無理なんだと絶望する。

10年前に全ての人間関係を捨てた事がある。インターネットもまだまだ携帯もガラケーの時代、清々した。興味のない会話に上辺の付き合い一人を謳歌していた…だがそれもだんだん慣れてさみしくなってしまう。あの時出会った友達は濃い付き合いだった。しかし、友達に別の友達がいると知った瞬間にその手を話してしまった。今は連絡もとっていない。

自分も同じなのに…

そんな私も、Twitterと言うツールや、サイトを介して仲良くさせていただいている友人を見つけた。

その友達は、私の知らない友人がいる。だからと言って絶望しない。色んな出会いは着実に自分を成長させて、臆病にする。

何事もほどほどが一番いいと、別の友達がいた方が自分の世界が広がっていいのかとようやく気付いた。

最後は一人なのだから…



タイミング

このタイミングで、何かを書きたいと思ったのは夏が終わるからかもしれない。

少し話したくなったのかもしれない。

SMAPのコンサートに行ってきた。

今年のコンサートは、楽しい仲間と見ることが出来てとても満足だった、何時もより楽しかった。

普段より、周りの目や音が気になってあまり何かを楽しむ事が出来ない。ひとえに私が醜いからだろう。なら、人は努力しろと言う。それはわかっている。十二分にわかっている。

それを抜きにしてもしなくても、悪口(自分に対してで無くても)や嘲笑うような声が聞こえてきたら、お前は何様だと、お前も対たいしたことないだろと悪態をついてしまう。本人に詰め寄りたいが、そんなことしたら確実に楽しい空間からつまみ出されてしまう。相手は何気ない一言のつもりかもしれないが言われた方、自分に後ろめたさを持っている方には全部聞こえているのだ。

そこで、また努力しろと人は言う。結局はその繰り返しである。努力しなかったら、言っていいのか?お前は言えるほどの完璧な人間なのか?そんな事を考えていたが、本当に人徳のある人間はそんな事は言わないし誰にでも平等だ。少なくとも思っていても、聞こえ無いように配慮している。

結局は言いたいだけなのだ、そこには無意識、優越感、しか無いのだ。

それすらも超越して楽しめるSMAPのコンサートはやはり魅力的だ。

これを見て身に覚えにある人はもしかすると私が近くに座っているかもしれない…